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2015年6月1日発行
5月1日、「婦人会報恩講」がつとまり、献灯・献花・献香のあとに「しんじんのうた」を参詣者一同でおつとめをして、親鸞聖人を偲びました。
布教使の天野廣海師は「お互いが共にみ教えを聞かせて頂き、生き生かされている私たちと気づかせて下さったのが親鸞聖人です」と、み教えと聖人についてお話し下さいました。

(父に抱かれる松若君 )
当寺では、毎年6月17日に親鸞聖人のお誕生をお祝いする「宗祖降誕会法要」がつとまります。それにちなんで聖人のご幼少の頃のお話を紹介します。
親鸞聖人は、日野の里・法界寺のほとりで平安時代の貴族の長男としてお生まれになりました。父は藤原の有範(ありのり)卿、母は吉光御前(きっこうごぜん)といわれ、信心深い吉光御前は、常に長谷寺の観音様に念じて藤原家の跡継ぎをと願われていたといわれます。
幼少の頃は松若君と呼ばれていましたが、満2歳になられても片言も話されないので周りの人々は奇異に感じておりました。
そんなおり、8月の十五夜・月見の宴が催されました。父・有範卿のひざに抱かれた松若君は空をじっと見上げられて月が中天高く冴え渡ると同時に前に歩まれ、月に手を合わせ「南無仏」と、称えたといわれます。その姿に人々は驚き、松若君は非凡な子と大いに喜ばれたと伝えられています。 
しかし、父の有範卿は聖人4歳の時に亡くなり母は8歳の頃に亡くなりました。
春の夕暮れ暗くなる頃に青蓮院を訪れた松若君に慈円和尚は明日、得度式(とくどしき)をといわれますが「明日有りと思う心の仇桜(あださくら) 夜半に嵐の吹かぬものかわ」と、心情を詠まれました。(今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。私の命もいつなくなってしまうかわかりません。どうか、今ここで私のために得度の儀式を執り行って下さい)
心を打たれた慈円和尚はすぐに得度式の準備をされたといわれます。
わずか9歳で比叡山に登り、その後激動の時代の中お念仏の道を歩まれ、み教えを伝えて下さった聖人。
聖人への感謝とともに心からお誕生をお祝いしたい法要です。